全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

7.21(sun.)メモ。

読書家や作家、算数でも、ベランダや廊下、床で学ぶ子が増えてきた。はじめは不安そうにぼくに確認しにきた子たちも、今は何もいってこない。もちろん、教室で学ぶ子もいる。ぼくは今、これまで学校の中で教え込まれてきて、子どもたちの中にある「ねばならない」をひとつひとつ崩していくことを教室の中でやっているのだろう。生きるということは本来もっと自由なものだよと。学ぶことはもっと自由なことだよと。自由になってはじめて起こることもたくさんある。もちろん失敗もある。そこで「そもそも」について問い直して、みんなでつくっていくこと。今週の「テスト」についての議論なんてのはまさしくそう。「夏休みの宿題の必要性」についてあーだこーだいっている声があがってくるのもそういう感じなのだろう。「ねばならない」を取っ払って、自由になったところからが本来の学びがスタートする。そんなことを感じた1週間だった。

 

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今日も、カリキュラムづくりのために教室に外から人が入ってくる。ぼくは今、学校現場と学校づくりの狭間に経っているということを思い出す。これは、ぼくにしか経験できないことで、誰にも共有し得ないこと。だからこそ、自分の中で何が起こっているのかということが一番の関心ごとだったりする。

 

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もうさー、みんながんばってるし、みんな優勝でいいじゃん。はい、みんな優勝。ってことですよ。今日のまとめ。

 

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感情がぐわーっと動き出したときがチャンス。「書く」チャンス。

 

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できない、やったことがない、わからない、からこそ見える世界もあるってことは忘れないでいたい。できること、やったことがある、わかっているからこそ見えなくなった世界もあるんだから。

 

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あなたは、今、あなたが見えてる世界の中で大事なものを見つけられたらそれでいいんだってこと。

 

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生きる意味とか、幸せの定義とか、問い出す時期ってあると思うけど、そういう問いには、答えを出すことよりも、問い続けること、問いを持ち続けることにこそ価値があるんだと。答えを持っていることよりも、問いを持っていることの方がぼくは大事だなあと思うようになった。そういう人が好き。

 

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ただ、「問うために問う」のはなんかちがう。

 

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関西に生まれて、小さい頃からお笑いを見て育ったものとしては、この土日はどうしても例の話題に引っ張られてしまうー。

 

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「君の名は」でさえ観てないぼくですが衝動に駆られて。

 

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