全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

学校とゆるやかに伴走するといこと

今夜も晋さんとのオンライン支援が終わりました。

 

昨日はこちらを読みました。

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学校とゆるやかに伴走するということ

学校とゆるやかに伴走するということ

 

 

もともと晋さんとは、研修会で数回お会いした程度の関係でした。それも一方的にお話を聞く、という。

まだ教員2年目とかそこらへんのとき、『学び合い』とか「信頼ベース」とかをあれこれ実践し始めていたころ、何か引っかかったのか、晋さんのこちらの本(この本にもある3冊)も何度も繰り返し読んでいました。

「対話」がクラスにあふれる!  国語授業・言語活動アイデア42

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新版 学級通信を出しつづけるための10のコツと50のネタ

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もちろん、前作のこちらも読んでいました。振り返ると、このあたりから、何となく「この実践おもしろいなあ」から、「この人の考え方、生き方いいなあ」と思うようになっていったんだと思います。

学校でしなやかに生きるということ

学校でしなやかに生きるということ

 

 

ぼくが教員3年目の年、本の中にも登場する、井上太智さんから晋さんのお話を聞いていました。太智さんは「定点観測」と読んでいましたが、その「定点観測」にぼくはすごく興味を持ちました。(つまりは「伴走」してもらうことですね。)

 

カリスマ先生から学ぶサークルや単発のセミナー、ワークショップに違和感を持ち、それらを全て捨てて「Learnig Creater’Lab」という中長期的なプログラムなどに参加し始めていたぼくは、話を聞きながら、「継続的に、しかも、教室の中で実践しながら学べるとかサイコーやん!」とシンプルに思ったわけです。

 

そしてその年度末、太智さんに晋さんがFacebookに「伴走」について募集する投稿をしているのをに教えてもらって、管理職に相談する前に、直感でDMを送ってしまったことから、晋さんに1年間伴走してもらうことになりました。

 

その1年間について、ぼくは過去の記事でこう振り返っています。

石川晋さんとの一年 - 全てはひと続きになっている

ぼくは、何より、晋さんと教室を見ながらあーだこーだおしゃべりすること、放課後に頭抱えて一緒に悩むこと、そんな時間がとても楽しかった。

なんせ、先行実践が無いようなことにチャレンジをするがゆえに、答えをつくっていかないといけない、価値を見出していかないといけない。

まだまだ未熟なぼくは、急に不安になったり、ブレてしまったりすることもある。そんな中で、伴走者の方の存在は大きい。

しかも、継続的に入ってもらっていることの価値が大きい。それは何かというと、「ストーリーを共有している」ことと、「同じものを見ている」ことにあると思う。

その上で、さらに晋さんはスペシャリスト。今のぼくに何が必要なのか、その視点を丁寧に渡してくれます。

晋さんの伴走を体感できたことは、本当に貴重だったと思います。きっと、この原体験はこれからの何かにつながっていくんだろうな。

ぼくの中で、魅力的なロールモデルです。

 

昨日、「学校とゆるやかに伴走するということ」を読みながら、なんだか晋さんと会話しているような感じがしていました。

 

伴走してもらっていた1年のその前後のこと、晋さんの思いに触れながらも、文中に何度も出てくる「地続き」という言葉がぼくの心に引っかかってきます。どうやら、この言葉にこそ、ぼくが「石川晋」という人に何となく惹かれていった理由があるみたいです。

 

「地続き」になっていることを知っているからこそ、あらゆるところへ想像力を働かせて、「これまで」のことから「これから」のことまでを見渡したうえで、今、必要なことを相手が受け取れるサイズで手渡すということができる。晋さんは、そういったことのプロフェッショナルで、ぼくは一生かけてもその境地にたどり着ける気がしません。

 

それと、もっとも引っかかったのはここ。

ぼくは手づくりの食事で健康を維持というような単純な健康管理の話をしたいわけではない。何かをつくるという手応えを、自分の手元に引き寄せておけない生活のなかでは、実践は荒れていくといくことを言いたいのである。

そして、ここ。

生きる実感を手放さない。食事でも趣味でも友人や恋人との強いつながりでもいい、生活の質感をずっしりと持ち、手放さないことは、実践を豊かにしていくために大切だ。なんだか少し親の小言めいているが…。

 

どちらも要は、「地続き」になっているということだなんだろうけど、これめっちゃ大事だなあと思うんですよね。例えば、授業のことばっかりやっていても仕方ないような状況もあるということ。生き方としての自分を見つめる客観性もちゃんと持っていたいなあと思います。

 

ぼくのブログのタイトル「全てはひとつながりになっている」も、つまりは「地続き」と同義で、あと、今年度も引き続きオンライン支援を受けているのもそういうことです。

 

オンライン支援と言っても、何か具体的に授業方法について相談しているとかそういうのではなく、何か事前に準備するわけでもなく、ただただ、何となくそのとき考えていることをお互いにべらべらしゃべって終わりって感じの1時間ちょっと。でも、この「何となくそのとき考えていることをしゃべる」っていうのが大事なのかもなあとか、最近は考えています。

 

あと、継続的に晋さんと関わることで、「地続き」になっていることをより感じながら日々を考えていきたいんだろうなあとか。

 

この本を読んだことがきっかけで、また、自分の身の回りのことをぐるっと見渡してひとつひとつ丁寧に考え直していきたいなあと思うのでした。

 

 

…あれ。書評っぽいの書こうと思ったのですが、いつの間にか書評でも何でもない記事になってしまいました…。明日から2学期が始まるから早めに寝たかったのに、こんな時間になってしまいました…。

 

とにかく、すばらしい1冊でした(笑)。