全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

軽井沢に来て3ヶ月。

f:id:tokkun1225kotonakare570:20190630124102j:image

 

ちょうど軽井沢に来て3ヶ月が過ぎようとしている。

 

こっちに来て、いろんなことが変わった。変わるということは、当たり前だけど楽しいことばかりではない。むしろ、苦しいことの方が大きいんじゃないかな。葛藤もたくさん生まれる。変わろうとしない人の気持ちも少しはわかる。でも、変わったからこそ、これまで見えなかったものも見えるようになった。今まで知らなかった自分にもたくさん出会った。まだ3ヶ月しか経ってないことが本当にびっくりだけど、本当に来てよかったと思う。学校づくりがどうとかよりも、自分自身が変わっていくことを感じられる今が本当におもしろくて幸せだなあと思う。改めて、こういう機会をいただいたことへの感謝の気持ちが止まらない。

 

4月。どうして風越に来たんだろうか、ということを問い直すくらい、心は病んでいた。そもそも、ぼくは、年末に風越に来ることなって、正直浮かれていた。そこに自分はいなかった。地に足ついてないままに軽井沢に来て、真っ暗闇の中を手探りで歩くんだけど、そもそも、そこに自分はいなかった。

 

ある出来事があって、落ちるところまでとことん落ちて、悪夢を見るまで落ちきったときに、はじめてちゃんと自分と向き合うことをした。これまで、外的な要因に引っ張られてここに立っていた自分に気づき、自分の足でちゃんと立つために、一から積み直していくことにした。毎日記録し続けているふり返りの質も、このあたりから変わっているんじゃないかと思う。

 

こっちに来てから、1人の時間が増えた。目的なしに会う人がいない生活は、常にどこかぽっかり穴が空いたままのような感じ。埋めたくなるんだけど、埋まることはない。でも、その空いた穴には、いろんなものが出たり入ったりしていく。いいものも悪いものも。つまり、1人の時間が増えたことによって、自分の感覚にすごく敏感になった。自分自身と向き合う時間が長くなったからこそ、自覚することが増えていった。で、それが、教師としてのあり方にも影響をおよぼしている。今は、教室にいる自分が今までより一層自然体になった気がする。そして、もちろん、子どもたち自身の感覚も大事にしたいと実感を伴ってこれまで以上に強く思うようになった。

 

「授業づくり」とか、「学校づくり」についてよりも、ここまでの3ヶ月は、ぼく自身が「自分づくり」についてひたすら考え抜く時間になった。でも、これはすごく大切なことなんだと思う。今はまだうまく言葉にできないけど、本当に大切なことってそんなもんなんだとも思う。時間が経ってから、あのときのあれはああだったって言えるようになったらそれでいいや。

 

とはいえ、まだ3ヶ月。まだまだこれから。疲れは溜まって取れないけど、心はめちゃくちゃ元気。とりあえずこの一年、やれることを精一杯やりたい。それだけ。