軽井沢でのはじめの4ヶ月
今日、軽井沢に戻りました。やっぱりこっちは涼しい。風がとにかく爽やかなんです。
お盆は実家の奈良に帰っていました。
関西圏にいる友人とたくさん会って、ひたすらだらだらと過ごす日々でした。帰る場所があるからこそ、今がんばれるだということが再確認できて、会ってくれたみんなには本当に感謝しかないです。これだけゆっくり過ごしたのは初めてかもしれないというくらいゆっくりしました。(だいたい家にはいてなかったものの)
というのも、軽井沢でのはじめの4ヶ月。とにかく疲れたんです。いつもなら、毎年持て余す力を発散するかのごとく、夏休みはあちこち飛び回る毎日でした。でも、今年はとにかく疲れたので休みたかった。それくらい、この4ヶ月は持てる力を全て出し切った4ヶ月だったんです。
本当にありがたいなあと思います。おそらく、今、ぼくが経験していることは全国的にも稀なケース。経験したくてもできないことだったりします。だからこそ、この1年は(もちろんその後もだけど)、自分の持ってるものを全て出し切りたいと思うわけです。軽井沢風越学園の学校づくりも、公立小学校の教員としてのチャレンジも。
これまでほぼ実家暮らし、地元奈良の学校の先生をしていたところから一転、ガラッと環境が変化したことによる気疲れもあります。でも、それだけではない、何とも言葉にしづらい苦しさと向き合う日々でした。
4月は本当に苦しかった。大きな挫折を味わい、自問自答する中で、恥ずかしながら、外的な要因に引っ張られながらここにいたこと、自分の足でちゃんと立っていなかったことに気づきました。つまり、そこに「ぼく」はいなかったわけです。
どうしてここに立っているのか、ここにいる目的を一から考え直して、一つ一つ、ちゃんと「ぼく」からはじめることを徹底しました。
毎日のふり返りを読んでフィードバックをくださったあすこまさんの存在はとても大きく、それ以外にもいろんな方々に助けてもらいながらも、徐々にぼくは「ぼく」を取り戻していきました。
どの道を選んでも「葛藤」を抱えることになる。それでいいんだ、そういうものだという前提をちゃんと持った上で、それでもやっぱり自分でいずれかの道を選んで進んでいくこと。その中で、起こるあらゆることから学んでいくことをいかに楽しめるか。楽しむためには、やっぱりその道はちゃんと「ぼく」が選んでるかどうかが大事。自分の心の機微に敏感に、素直になれるかどうかが大事なんだと。
教室の中では、ふり返ってみると、ぼくは、「みんなの自由を取り戻す」ということをしてきたんだと思います。
ぼくと出会うまで、本当にたくさんの縛りの中で過ごしてきたんだなあとところどころで感じました。それはもしかしたら、それまでは必要なことだったのかもしれないけど、やっぱりぼくは「あなたは自由な存在なんだよ」ということを伝えたかった。
自由な存在であることを認められる中で学ぶことの価値は、当然のことながら子どもたちの姿に現れてきました。あらゆることをちゃんと「自分」からはじめられるようになってはじめて、やっとスタートラインに立ったという感じ。これは、ぼくのさっきの経験と重ねて考えています。
もちろん、自由である分、エラーがたくさん起こります。でも、エラーが起こってからが本当の学びのスタートではないかなと。ぼく自身、いろいろ揺れるところもあるけど、それはぼくがぼく自身と向き合い直す機会にもなりました。
「テストってなんのためにやるんだっけ?」みたいに、一つ一つみんなで問い直して、確かめながら進んでいく。次の4ヶ月もそうやって進んでいきたいです。
さらっと書くつもりがだらだら書いちゃいました。特にまとめるでもなく、今日はここまで。
2学期は、ブログの方もちょくちょく更新していきたいなあと思っています。