全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

「少数派の人たち」の存在

学級通信「輝月」第70号

「少数派の人たち」の存在

 2学期始まって1か月、ほぼ毎朝みんなで話し合いをしています。日に日に話し合いが上手になってきていますね。先生がいなくても自分たちだけで、クラスの課題や個人的な相談を出し合い、それについてみんなで話し合っている姿はすごく頼もしいです。この調子でがんばろうね!

 さて、そんな中、昨日の5時間目は5-2会議でした。議題は「クラス遊びをやるかやらないか」です。結果は、「金曜日にクラス遊びをやる」に決定。内容や役割は、また後日話し合うことになりました。全体の雰囲気として、「やったー!」という感じでしたが、先生は一部の人たちの表情が気になりました。おそらく、何か不安や不満がまだ残っていたんだろうなあと思います。

 そこで、みんなに知っておいてほしいことがあります。それは、多数決は、あくまでも「クラスの意見」であり、「19人全員の意見」ではないということです。

限られた時間の中で、全員が納得する話し合いをするのは難しいことです。だから、最終手段として、クラスの意見を多数決で決めたり、過半数を超えるものに決めたりします。そうなると、どうしても納得いかない人が出てしまうのは仕方のないことで、そんな経験も大切だったりします。みんなもこれだけ話し合いを経験してきていると、その両方を経験してきているのではないでしょうか。

だからこそ!自分の意見がクラスの意見になった「多数派の人たち」には、自分の意見がクラスの意見にならなかった「少数派の人たち」の存在に気付いてほしいなあと思います。そして、「少数派の人たち」のことをいつも考えていてほしいなあと思います。クラス遊びの内容を決めるときは、その人たちの意見をしっかり聞いてあげたり、クラス遊びをしているときにも、その人たちが楽しめているか気にしてみたり、できることはいろいろあるよね。クラスの少数派の人たちのことも大切にできると、全員ハッピー全員スマイルになれるんじゃないかなあ。これからの話し合いはそんなことも考えておいてね。最後にふりジャです。