全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

読書メモ④

『学び合い』(二重かっこの学び合い)関連の本は10冊くらい持ってて、その全てを読んだのですが、やはり改めてよくできてるなあ〜すげえなあ〜と、無知なぼくは感動してしまうんですよね。

 

 

いろいろ大事なことはあるんだけど、その中でも特にこれから心に留めておきたいことをメモ。(ちょっと本文引用し過ぎかな)

 

①「エキスパート・ノービス研究」

認知心理学で「エキスパート・ノービス研究」っていうのがあるらしく、それは

熟達すればするほど、初心者に教えられなくなる。

ということで、簡単に言えば「専門家の話はわからない」のと同じことらしい。

 

要するに、教師は、教室の中で自分が一番教えることがうまいと思い込んでいるけど、実はそうじゃないということ。受け入れがたい事実ではあるけど、そういったことも受け入れないとね。

 

②「支援を要する子」

「支援を要する子」は、何も特別支援学級の子たちだけではなく、子どもたちすべてが支援を必要としている。それを教師1人、もしくは2人か3人で補うことなんてまず不可能だよねってこと。うむ。

 

③「規律」について

規律正しい集団は、規律が集団の文化にならねばなりません。教師の指導によって規律が保たれている集団は、教師の見えない所では規律は保たれません。

ですよね。授業のあいさつ、返事、手の上げ方、話型、ビシッと整列して歩くなど。これらは、教師の指導によるものであって、見えないところではやる必要がないことの方が多い(全てとは言わないが)。仮に職員室でこれを「規律だ!」といって強要されたら苦しくてたまらないよね。はあ。「規律を集団の文化にする」ためには、まず上位2割の子どもたちがその価値を感じないとね。

 

④学び合う能力

ホモサピエンスの3つの傾向
①子どもは共感する。一歳半になる頃には、他者の痛みや苦しみが分かり、殆どの場合に、それを和らげようとする。
②子どもは教える。小さい時から教えあおうとする。
③子どもは、相互作用に価値を付与する。10ヶ月齢から、ある人が他の人に対してする行為を見ると価値を付与し、なでるとか叩くとかいった自分への行為だけではなく、他者同士の行為にも、プラスやマイナスを与える。

 

とある。また、

わたしたちは、子どもに共感を教える必要はないが、共感を持つ機会を多くすることによって、その傾向を強めることができます。
子どもに教える傾向を強める最良の方法は、この場合も、「傾向を使う」ことであり、できない課題に直面している他者に教える機会を子どもに与えることである。
まさに『学び合い』そのもの。

と続く。さらに、

 

「学び合う能力は生まれつきの能力である」ことを基本前提としています。その根拠は二つです。
第一は、ヒトは群れ、かつ言語というコミュニケーション手段を持っています。そのような種が、学び合う能力を生まれつきに持っていないならば、数百万年の生存競争の中で生き残れません。つまり、生まれつきの能力と考える方が、生物学的に妥当性があります。
第二に、今まで色々な調査を行なっていますが、その結果、ゴチャゴチャやらなくても子どもたちは学び合えることが明らかになっているからです。教師がやるべきは、学び合う能力を教えるのではなく、学び合う能力を邪魔しないことです。ゴチャゴチャやらなくても、邪魔しなければ『学び合い』ます。

 

学び合い能力について、勘違いをしていたことに気づかされましたね。能力とあるだけに、身につけさせるものだと思い込んでいた。でも、そうじゃないみたい。

こんなことって他にもたくさんあるんだろうなあ〜〜。「◯◯能力をつけさせないといけない!」と根拠のない考えから、子どもたちの本来の能力を発揮させないように邪魔してしまっていることが。「本能」として備わっているならば、それを発揮させる機会をたくさん確保すればいいんだよね。

 

⑤異常な教育とも言える一斉指導

歴史的な背景から一斉指導について述べられているんだけど、前にも書いたように、やっぱり近現代の教育の流れくらいは、教師である以上最低限知っておきたいなあと改めて感じた。別に一斉指導が異常でダメなものであるとかそんなんじゃなくて、良し悪しを判断するためには身につけておくべき教養ってのはあると思う。大学生の4年間何をしてたんだろうなあってつくづく思い知らされるけど、今からでも遅くないですよね。