全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

とにかくやってみよう!

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「とにかくやってみよう!」を大切にされる場っていいなあって思います。

 

最近のぼくの口癖。

 

教室でも、子どもが「カタセン、これってどうしたらいい?」って言ってくることが多いけど、ぼくはいつも「どうしたらいいと思う?そっかー!とにかくそれでやってみよ!あかんかったら、また考え直せばいいし、困ったらまた相談して!」って言います。

 

早速、朝の会で、掲示物の場所をどこにすればいいかで意見が分かれたとき、子どもたちの中から「とりあえず、多数決で決めて、決まった方をやってみよ!」っていう声が出てきました。

 

少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、ぼくは、これが当たり前になればいいなあって思います。(もちろん、明らかに危険なことや無茶なことは慎重に)

 

なぜか。

 

「とにかくやってみよう!」から始まることってたくさんあります。

それがうまくいっても、いかなくても、やってみたからこそ次のステップへ行くことができます。

 

「とにかくやってみよう!」を積み重ねた先に、豊かな人生が、幸せがあるんじゃないかなあ。そう感じています。

 

残念ながら、このご時世、短い時間の中で結果ばかり求められます。

失敗なんて許されません。悩んでる暇さえ与えてくれません。やらなきゃならないことが多すぎて、やりたいことなんてやってる暇がありません。

 

でも、そんな世の中をつくっているのは、今の大人。「とにかくやってみよう!」をしてこなかった大人たちだと、ぼくは思っています。

 

*****

 

で、あと、最近思ってるのが、

 

「どんな教室にしたいか」も、

「どんな社会であってほしいか」も、

「どんな学校をつくりたいか」も、

「富田林のコミュニティスペースをどんな場にしたいか」も、

「夏に開くキャンプをどんなコンセプトでするか」も、

「自分がどういう人でありたいか」も、

 

全部同じだなあということ。

 

最初の話で言えば、「とにかくやってみよう!」を教室でも、学校でも、富田林でも、キャンプでも、社会でも、自分の在り方としても、大切にしたいということ。

 

当たり前だけど、ねじれるとおかしなことになる。でも今まで結構ねじれてたように思う。

 

こう思うけど、どうかな?って考えた時に、当てはめるところがたくさんあれば、全部にいえるなあとなれば、その信憑性が増してくる。自分の中で確信に変わってくる実感がある。

 

 

今日は、夏に開くキャンプのミーティングをこっそり教室で。

 

ワクワク×100

 

今年度も、「とにかくやってみよう!」から、いろんなことをスタートさせていきます。

 

 

*****

 

この記事を書いてから、「やってみよう」で検索かけてみると、この曲がヒットした。なんとなく耳にしてたはずだけど、改めて聴いてみると、いいなあ、この曲。

 

「正しいより 楽しい。正しいより 面白い。やりたかったことやってみよう。失敗も思い出。」

 

「やってみよう」 フルver. /WANIMA【公式】 - YouTube