全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

5.25(sat.)メモ。

思考は流れちゃうからTwitterやインスタのストーリーで言葉にしておくんだけど、それだと流れちゃうよなあと思ったけど、ここに記録しておけばいいのか。facebookにもシェアしとけば一年ごとにまた振り返られるしそうしよう。

 

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毎日のふり返りは出来る限り具体的に書く。抽象より具体の割合を高く。具体は流れていきやすいから。具体さえそこにあれば、抽象化はあとでいくらでもできる。そして、具体の情報量が抽象化の質を決める。抽出できる学びの価値を決める。

 

だから、日々、黙々と淡々と具体(感情込みの具体的なエピソード)を記録していくみたいな地道な作業が必要で、それが学びの質を高めることにつながるような気がしてる。

 

でもそれってそんなに簡単なことじゃないよねって話。でも今それが可能になってるのは、今まさにいくつもの「目的」がそこにあるから。与えられたものもあるけど、自分からつくったものもある。「目的」が必要感を生み、モチベーションを上げ、保つ要因となっている。なんでもそうだよね。

 

だれかも言ってたけど、「目的」にあふれる人生って豊かだよなあって思うよ。

 

で、さらに言えば、SNS上だと、いろんな評価軸やコンプライアンス、プライバシーの問題があって、思考を発散する上ではそれがとっても邪魔になる。思考を発散していく上で、良いことも悪いことも「評価されない」ことってめっちゃ大事。

 

でも、全く「評価されない」とモチベーションは上がらないし保たれない。そこで必要なのが、信頼できる「伴走者」の存在。自分の根っこの部分や目的が共有できていて(そういう実感があって)、その上、対等な関係性(これ大事)にある人が「伴走者」として共に走ってくれることはめっちゃ大きい。

 

でも、全く「評価されない」とモチベーションは上がらないし保たれない。そこで必要なのが、信頼できる「伴走者」の存在。自分の根っこの部分や目的が共有できていて(そういう実感があって)、その上、対等な関係性(これ大事)にある人が「伴走者」として共に走ってくれることはめっちゃ大きい。

 

ここまでの一連のつぶやきは、あくまでもぼくの経験則でしかないので、安易に一般化しちゃわない方がいいかもしれないけどねー。(仕事し始めたのに思考が寄り道してそっちに進んじゃっただけの巻)