全てはひと続きになっている

奈良から軽井沢に来ました。

イエナプラン研修での学び①〜緩やかで無駄がない〜

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オランダでの5日間のイエナプラン研修が終わりました。
やっぱり、来ないとわからないことがたくさんありました。

緩やかにゆったりと流れる時間。
何かに縛られることなく自由で穏やかな空気。

オランダという国の文化を支える「教育」の一つである『イエナプラン教育』について学ぶ中で、doingを通して、根っこにある大事な大事なbeingについて、問い直し、考え直し、学び直す日々。子どもたちに関わるひとりの教育者としての在り方を、真っ向から問われたような気分でした。さらには、教室はどうあるべきか、学校はどうあるべきか、“日本の”教育はどうあるべきか…。

 

学んだことや感じたこと考えたことを少しずつ記録しておこうと思います。




「緩やかで無駄がない」

ぼくが、イエナプランスクールを見学して、まず一番美しいと感じたことが「緩やかで無駄がない」ということです。3つにまとめてみたらこんな感じ。

 


①リズミックな計画と余白
「子どもから始まる」ということを大切にするイエナプラン教育は、1日の流れも、その日のその場の子どもたちの様子に合わせて、リズミックに変化していきます。

計画は立てるものの、クラスの雰囲気や子どもたちの様子によって、先生は、時間を早めたり、伸ばしたり、フレキシブルに変更します。もちろん、チャイムはありません。「計画は目的ではない」ということを講師の方がおっしゃっていました。

計画通りにすることを目的として、子どもたちを計画にはめることが大切なのではない。

大切なのは子どもたちのモチベーション。

そのためのツールとして計画があるということです。

そこで、先生に必要なのが「感覚」。

子どもたちの一人一人のことをよくみて感じられるかどうか、クラスに流れるリズムを感じられるかどうか。そういったことが求められます。

必ずしも時間通りに子どもたちを動かす、コントロールすることが必要なのではない。

こういったことを可能にするのが「余白」なんだろうなあ。

1週間単位でクリアすることを把握した上で、応用が利くような時間の「余白」を、そして、何より先生自身が「感覚」を大切にし研ぎ澄ませるような心の「余白」が必要なんだと思います。

こういったことから、その場に流れる心地よい「緩やかさ」が生まれる。そんなことを感じました。



②連続性と文化

イエナプランは、「ファミリーグループ」という異年齢集団でクラスが編成されます。
日本で言えば、幼稚園年中年長のクラス、小学1〜3年生のクラス、小学4〜6年生のクラス。

年度が変わると、ファミリーグループの一番上の学年の子たちが、次のファミリーグループに進級、もしくは、卒業します。2学年は同じファミリーグループのままで、新しく入ってくる一番下の学年の子たちを迎え入れます。

今回の研修で見学した学校は、新学期始まって3日目でした。
しかし、全く新学期とは思えない落ち着いた雰囲気、子どもたち同士の信頼関係。その理由は、先ほどのクラス編成にあるんだろうなあ。

日本の小学校では、一学年の集団で、なおかつ、一年経てばクラスが変わる学校がほとんど。一年で築き上げた文化は一年というスパンでリセットされます。

一方で、イエナプランでは、異年齢集団のクラス編成にすることで、より「連続性」を大切にし、「無駄なく」スムーズに次の年を迎えられる。
年度始めであっても、そこにすでにある「文化」が、新しく迎える学年のメンバーを包み込む。だからこそ、安心感が生まれやすいのだろうなあ。
本来、「日常」は連続したものであり、そんな「日常」を学ぶ学校は、こうあるべきなのかもしれないです。



③信頼と選択の尊重

毎年経験することなんですが、年度当初必ず、「先生、トイレ行っていいですか?」と確認してからでないとトイレにいけない子どもたちがたくさんいます。
6年生であっても100%です。ぼくは毎回「聞かなくても行きたくなったら自分の判断で行っていいよ」と言います。それでも、しばらくの間は確認してきます。

ぼくは、この確認作業がとても「無駄」な時間だなあと思っています。そもそも、トイレに行くタイミングも自分で判断できないようではなあとも思います。でも、現状、こういった教育がなされています。

見学したイエナプランスクールの教室では、どの学年の子も、自分の好きなタイミングでトイレにいきます。
先生は、先生の都合でトイレに行くことを止めたりしません。
トイレに行くタイミング一つにしても子どもたちの選択を尊重します。
本当の意味で子どもたちのことを信頼しているしているからなんでしょう。

トイレはほんの一例で、日常のあらゆる場面で、子どもたちの選択を尊重しているんだろうなあということを感じられました。


また、イエナプランでは「ブロックアワー」という時間があります。この時間は、読み書き計算などの基礎学習や探究的なプロジェクトなどの学習を、子どもたちが自分で計画を立てて時間割をつくり、それを元にして、それぞれ個別で学習します。

その「ブロックアワー」の時間を見学したときのことです。

年度始めだったからか、先生がクラス全体でイントロダクションのようなことをしたあと、テキストが配られました。一人一人、先生からテキストをもらったあと、何の合図もなしに、それぞれがそれぞれの場所で、方法で、学習がスタートさせていました。

もらってすぐ、一人で黙々とテキストを進めていく子。
友だちと一緒に話し合いながら進めていく子。
廊下にある机で、ブロックを使いながら友だちと学んでいる子。
前で先生のインストラクションを聞いている子。
音に敏感なのか、ヘッドホンをつけて一人で学んでいる子。

先生に指示されたわけでもなく、子どもたちは全員、自分で学び方を選択していました。
学ぶことに対して前向きな姿勢をどの子からもびんびんに感じました。

ここでもやっぱり「選択」することが尊重されていました。
全員が一斉に同じことを同じだけする授業ではありません。
本当の意味で学ぶとはこのこと。

イントロダクションから、テキストを配って、子どもたちが学ぶところまでが、本当に「緩やかで無駄がない」。感動しました。



 

 

 

 

本当の意味で、子ども中心に考えると、自ずと「緩やかで無駄がない」ようになってくるんだろう。

 

子ども中心に考えていたはずが、まだまだ大人の都合に子どもたちをはめ込んでいた自分に気づきました。

 

まだまだです。