「先生」であることのモヤモヤ
ここ最近、自分自身が「先生」であること自体にモヤモヤしていました。
これでいいのかな?ここでいいのかな?ここにあるのかな?って。
別に、しんどいからやめたいとか、自分に向いてないとか、そういうことじゃなくって、いろいろ自分自身を問い詰めていった先に、さっきの問いたちが待っていたんです。
でも、慌ただしい日々の中で、その問いについてじっくり考えることも、行動することもできずに、ただただモヤモヤするばかりでした。
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今日は、東京にて、LCLがありました。
ぼくは、幸せを探究する、「チームハッピー」として、教室で実践している哲学対話を通してクラスで起こっている探究と、毎週のskypeミーティングを通して「チームハッピー」に起こっている探究について、そのモヤモヤについて発表しました。
今回はゲストとして、昨年度まで東京コミュニティスクールで校長をされていた、市川力先生に、今回の発表について講評していただきました。
スパッと切り刻んでいただいて、本当に気持ちいい限りでした。次に進めるきっかけをありがとうございます。
そして、何より、その後の2時間近くの講演、岩瀬先生との対談、フリートークの時間が本当にあっという間だったんです。
市川先生にものすごく感染してしまいました(笑)。だいぶ重症です(笑)。
完全に、市川先生の探究マインドに、惹かれてしまいました。
そして、自分は、探究的な場をつくりたいわけでも、子どもたちに探究させたいわけでもなく、自分自身が探究のど真ん中にいたいということに気がつきました。
ぼくが、目指したかったのは、「探究人」なのかもしれません。ましてや、カリスマ教師なんてのは、正直、ハナから興味なかったんです。
かつて、北海道からギターを引きずりながら、ヒッチハイクと徒歩だけで帰ってきた旅で感じていたこと、考えていたこと、曲にしていたことを久しぶりに思い出しました。
無目的に、途方に暮れていたあの10日間に、自分の在り方が詰まっていたのかもしれません。
「先生」になった今、自分自身が探究し続ける「探究人」であるかどうかといえば、そうではないかもしれません。
ファシリテーターなんて言葉を覚えて、子どもたちの前で、自分を押し殺したり、でも我慢できなかったり。かと思えば、あるときには、急に先生の威厳を解き放ち出したり、強引にコントロールしようとしたり。
自分の「先生」としての在り方に、モヤモヤするばかりで、そこから、自分が「先生」であることにモヤモヤし始めました。
でも、今日、なんか少しスッキリした気がしています。というか、考えが1つ先に進んだ感じ。
「先生」としての自分も、「探究人」としての自分も、両方あっていいのかもしれません。切り離して考えるわけじゃなくて、重なってる部分もあるだろうし、どっちも認めた方が相乗効果があるだろうっていうイメージ。でも、どっちでもオッケー。どんな自分もオッケーってことで。
たぶんこの感覚って、自分以外の人に伝わりにくいだろうなあと思いながら、言語化しています。
わかんないけど、とりあえずはこんな感じです(笑)。
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ということで、「先生」と「探究人」が、自分の中で共存できるかどうかは、自分自身のこれからの探究のテーマかな。
やっぱり、今より幸せになりたい。
そのためには、探究していくしかないんだと思います。
そして、どうせ探究していくなら、自分が心の底から「おもろい!」と思える方を選択していきたいです。
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久しくしていなかった富田林のコミュニティスペースの話。
7月から部屋は借りることになっています。
何するって具体的には、まだ決まっていませんが、いろんな情景は思い描いています。やりたいこともたくさんあります。
なので、何かするときには手を貸してください。何か考えるときは知恵を貸してください。
関東の方は、関西に立ち寄る際に、ふらっと寄ってってください。
というか、立ち上げメンバーも随時募集中です。
一緒に、やりたいことをとことんやり尽くしましょう!!!!
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日が変わるまで家にたどり着けないけど、かといって、頭使って仕事する気にもなれないので、ぼーっとします。
あーーーー、頭疲れたーーーーー!!!!!!!!