「感覚」と「サークル」と「共創」
最近、より「教室」が「学校」っぽくなくなってきた。
そして、より「授業」が「授業」っぽくなくなってきた。
2学期始まって2週間が経って、そう感じています。
教室にいるのがすごく心地いい。
オランダから帰ってきて以来、すごく自分の「感覚」に敏感になりました。かなり自覚的。
だから、自分の違和感にはもっと正直になろうと思って、2学期は、本当に細かいところなんですけど(たぶん子どもたちはまだ気づいていない)、いろいろ変えてみてます。
クラスのリズムもすごく意識するようになりました。
あと、最近は特に「サークル」のパワーをすごく感じています。
1学期から毎日、朝の始まりや授業では、クラスみんなで「サークル」になっておしゃべりしてきました。
今では、すべての単元は「観察サークル」からスタートします。
クラスみんなで、知ってることや問いについてあーだこーだとおしゃべりする時間がすごく心地いい。
先週の授業参観も、「原爆投下」をテーマに「サークル」になって哲学対話をしました。子どもたちの外側には、保護者の方々に座ってもらって。すごくいい時間だった。
ぼくは、この「サークル」になっておしゃべりする時間が好きです。
みんなで何か企んでいる時間、みんなで問いに向かってる時間が好きです。
何かを教えてあげたり、できるようにしてあげたりすることよりもずっと。
きっとぼくは、カリスマ教師になって子どもたちを成長させてあげたいとか、教師として力をつけて本出して有名になりたいとか、そんなことがしたいんじゃなくて、ただ、仲間たちと共通の目的に向かって共に創りあげるってことがしたいんだなあ、って。
「競争」じゃなく「共創」。
ぼくは「共創」の世界の中でいたい。
だから「共創」の社会をつくりたいし、そんな学校に、教室にしたい。
明日からもがんばろー!